平康里野営 昭和七年五月十二日-二十日
二年兵第一期の
検閲は平康里で受けた。
最前線最右翼の兵が吾。
通信班長重野中尉を囲みて。
中村構成班長を中心に。
ここは江原道福鶏駅に程近い平康里の高原である。ソウルから日本海岸元山に抜ける鉄道の朝鮮山脈を越す一番高いところである。
通信隊長重野誠雄中尉
- 一生忘れ得ざる人格者よ、この高原に咲く鈴蘭のように、心優しい愛情、引締まった凛々しい顔、兄弟橋の下を流れる水のように澄みきった美声、明密な頭脳、実に通信隊長として全朝鮮軍に範たるものであった。
京城はとっくに桜が散って初夏であるのに、この高原は今桜の花盛り、高原一面に鈴蘭が薫っていた。
北鮮に春は来にけり五月半
桜も咲けり鈴蘭咲けり
平康里に兵舎があり、通信班には演習地に近い典仲里の宿舎が当てられた。
私は二年兵第一期の検閲をこの演習場で受けた。苦しいこともあったが、大部分は通信班として聯隊本部から演習場へ、部隊から第一線への電話架設、撤収に明け暮れた。
聯隊全部の通信兵が一緒に寝起きし、比較的自由も利いた。ニケ年の兵営生活中これ程睦しい楽しい生活はなかった。
物静かな闇中に砲兵の観測塔がそびえているのが見える。夜間演習が終って、闇の雨の夜更を帰る途中、遥か彼方の平康里の兵合から、消燈ラツバの音が伝わってくる。
幾百の将兵が汗と血みどろの一日の演習を終って、今やつと吾に返り、遠き故郷の父母を恋い、妹を思う姿が頭に浮かび涙がでる。
消燈のラッパはなりて闇中に
ふる里遠く父母の顕ちくる
反対側の北方向には福鶏機関庫の燈が胱胱として、まだ貨車の入替が終らぬらしく、時たまポーッと汽笛がなり、シュッ シュッ シュッ シュッ と蒸汽の出る音が静かな中を聞えてくる。