軍旗祭 (四月十八日)
軍旗祭
軍旗は聖上陛下よりその聯隊に下賜されたもので、その聯隊のシンボルであり命にかけて守るものである。北清事変、日清日露戦役、シベリア出兵、第一次世界大戦(日独戦争)に出陣した軍旗は中味を砲弾に錆ち抜かれ縁総だけになっているものも少くなかった。
我が歩兵第七十九聯隊の軍旗祭は四月十八日春たけなわにして桜花らん漫であった。
午前中式典用の一装軍服に身を調え、壱千五百の将兵が営庭に並ぶ、式典に先だち今日の来賓が迎えられた。今日の来賓は、
- 歩兵第四十旅団長 少将 宮沢 浩 閣下
- 第二十師団長 中将 室 兼次 閣下
- 朝鮮総督 大将 宇垣一成 閣下
- 朝鮮軍司令官 大将 林洗十郎 閣下
である。師団長までは式典前に聯隊に来ておられた。朝鮮総督と朝鮮軍司令官は整列して迎えた。
将官ともなれぱその都度ラッパが奏せられて華かなものである。
一っ時あって、衛兵に守られて軍旗が台上に上り、聯隊長の勅語、並びに奉答文が奉読された。
勅語
- 歩兵第七十九聯隊ノ為軍旗一旒ヲ授ク、汝軍人等協力同心益々威武ヲ宣揚シテ我カ帝国ヲ保護セヨ。
奉答文
- 敬ミテ明勅ヲ奉ス臣等死力ヲ竭シ誓ツテ国家ヲ保護セン。
大正四年四月十八日
余興(私しのラバさん)
奉読が終ると軍旗に対し捧げ銃の敬礼、続いて勇ましい分列行進が行われた。
内地の部隊と違い朝鮮部隊は日頃面会人は殆んどない、御用商人の外ははいれない軍隊であるが、この日ばかりは一般市民の観覧が許され、多数の市民が来観した。
式典後数々の余興が出た、その頃ハーモニカの全盛時武で裸の兵隊達が白い敷布を肩にかけ「私のラバさん酋長の娘」を踊る一隊、その他仮装行列などがあり、一方では満州事変勃発翌年のことで兵器の説明会が催された、その頃の歩兵部隊にはまだ砲はなく、重機関銃、鄭弾筒くらいなものであったが、空包射撃を黒山を築いて見ていた。
一方中隊では年に一度お酒がたら腹飲めるので昼食が楽しみである。私らの年には赤飯に何かお魚がついたように思う。年によってお頭がついたり、紅白の祝饅頭がついたりするという。
朝の洗面がすむと「各班の洗面器を事務室に持ってこい」と週番の声が飛ぶ。その頃の洗面器は真鍮製であった。軍紀厳しい軍隊であるが、この日ばかりは無礼講でお酒が飲めるので、翌日顔を洗おうと思うと皆あながあいているということだ。
夕方から吐く者、下げる者、便所かよいの列がつづく。
酒の出る軍旗祭なり 洗面器
たたいて歌えりまつ黒けのけ
そんな時に限って何かがある。前年軍旗祭の翌朝未明非常呼集がかけられ、軍装して師団練兵場まで駆足させられたと。