昭和六年九月二十八日 単陽、二十九日 光州に一泊。
統監部
つい三ヶ月前、満州万宝山で朝鮮人農民が支那軍に虐殺されており、満州事変が起きて今日で十日目、朝鮮人の兵隊さんに寄せる期待はまことに大きかった。
朝鮮の青少年は兵隊になりたくて仕方ないが、まだ兵隊に服する道はなかった。
ただし家柄がはっきりしており、思想堅固なものは幼年学校、士官学校に入学を許された。在鮮部隊には李少佐、劉大尉、金大尉など鮮系の将校さんが沢山おられた。
鮮系の将校さんは演習で労れているにも拘らず部落民を集め「これが軽機関銃と言うもので一分間に弾が六〇〇発出る」と得意になって軍事熱をあおっておられた。
民衆は「あれがヨボ衆(鮮系)の兵隊さん」と神様を拝むように目を皿にして聞いていた。
- 李少佐
- 李応俊将軍は朝鮮の幼年学校から日本の士官学校に進まれた方で、韓国独立後は軍の重鎮として、大韓民国参謀総長を務めておられた。今は御歳で退いておられるが、昭和五十四年現在なお御健在と聞く。劉升烈大尉については最近の消息はわからない。