昭和六年九月二十七日 淳昌面
淳昌宿営
淳昌面という部落で一日休養。
小学校では全部日本語を教えているので、兵隊には朝鮮語は教えてない。
「チヤンムリ トツシヨ」と言ってオモニに水筒を渡した、水筒には醤油が入れられて戻された。
屋根ひくく南瓜の
つるの這いあがり
黄色きうまが
軒にさがるも
おしなべていづこの家にも
秋陽照る屋根に
ま赤き唐辛子燃ゆ
「水だ」 かめの水を指して見せると
、「ムリ、ムリ(水)ガツソヨ チャラアミダ」(わかりました)
お父さんお母さんが好意をもって兵隊のことを聞きたがるのだが言葉が通じない。
張貞玉という小学六年のキチベイ(娘)さんがいて通釈をしてくれた。
ご飯を炊いてくれたり、洗たくをして下さったり、涙ぐましい献身ぶりであった。
張貞玉さんは帰営してから ずうっと手紙をくれていたが。何時しか絶えてしまった。
なでしこの野辺に咲けりとふみくれし
かの日の少女如何になりしや
綺麗なお嬢さんがおられたので家族一同とともに記念写真を撮ろうということになったが、肝心の嫁さんはとうとう仲にはいってくれなかった。聞くところによると既婚の女性は絶対に他の男性と親しそうな行動があってはならぬという風習だそうな。
昨日行軍の途中、老婆がむろ蓋に栗を入れて道路端にちょこりんと蹲っている。
「その栗兵隊さんにくれるのか」
「売るんだ」人通りもあまりないのに、
「売れなかったらどうする」
「私が食べる」