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練兵

営庭

 鳥の鳴かぬ日はあっても、銃剣術のない日はなかった。

 戦争は刺すか刺されるかである、起床から朝食まで、夕食から日没まで、毎朝、毎晩、一日も欠かさず行われた。初年兵はぶっ倒れることもあった、すると水をぶっかけられた、正気づくと又防具を着けさせ突きまくられる。

 私はその銃剣術が一番嫌いであった。

 この広い営庭は、大正四年四月、この歩兵第七十九聯隊が出来て以来、幾万の士兵の汗と埃とぬかるみの思い出だ。それと腹の底からふり絞られる突撃の喊声でなくて何であろう。

村の乙女よいざいざ去らば  故郷を離れてアカシヤの兵舎
懐しと眺めし下弦の月も  今は淋しく竜山に照る
とげある思いを銃剣に頼り  叫ぶ大声の悲哀はつづく
御国を出てから早や二た歳を  涙でおくる七九の兵舎
愛し戦友今宵も露営、 受けし情のあの夜の月を
夜は夜で眠むる冷たき哨舎  思えぱ遠き故郷の空よ
ああ幸あれやアカシヤの花よ  心は残る七九の兵舎

あかしやの兵舎

ポプラ並木

ポプラ並木

ポプラ並木

前の部落が黄鶴洞。
向こうの丘に思い出の一本松が見える。

 陸軍刑務所前のポプラの並木、この林では決って歩哨の訓練をされた。

 数多い歩哨の守則、頭の悪い者は中々覚えられない、すらすらと言えない者は皆が休憩中に、向うの黄鶴同の一本松を駆足で廻って還されるのが常であった。

射撃

 中隊長は全員を舎前に集めて言った。

 「秋季演習は終った、これから君たちのやる可きことは何であるか? 言わずと知れた剣術と射撃である」と。

 ここは東洋一を誇る実包射撃場である。射程ま三〇〇米と四〇〇米どんなに弾が外れても絶対外に飛び出すことのない仕掛がしてあった。この南山の麓に幾万発の弾が射ち込まれたことだろうか、この一発でもろくも人の命が奪われるとは。

 私は剣術は出来なかったけれども、射撃では苦労はしなかった。

 背嚢を負うて、五十米後方から走って来て射壇に伏せて、十秒間に五発弾を射つ、そうすると向うの監的壕から、竿の先に黒い星をつけたもので、五発の着弾点が標的の上に指摘される、黒星が横に振られたら五発とも標的に当らなかったことを示す。

 的に当らなかったら、サーベルでかちんと頭をたたかれ、李泰院の一本松を駆足で廻って戻る、又射って当らなかったら、又走って丘を馳け上らねばならぬ、射撃の当らない者はそれで泣いておった。

 戦闘射撃は漢岳山の麓で行われた、葡匐前進しておると、草むらの中から人形の的が、ちよっ ちよっ と顔を出す、それを見つけてすかさず射つ、これは皆で射つので、個人的制裁はなかった。

野外練兵場

 師団練兵場で歩40旅団司令部、歩78、歩79、騎28、野砲26、工20、輜重隊、衛戌病院全部が使用していた。

 中央が広い広場で、、西側に広大な朝鮮総督府、第二十師団司令部があり、無線電信塔が高く聳えていた。 中央の広い広場で、一月八日酷寒骨を削る朔風をついて、陸軍始の観兵式があり、二十師団の全将兵が軍旗を先頭に歩武堂々の分列行進をした。剣先のひらめき、勇ましいラッパの響きは広い練兵場に轟き渡り、氷を踏む軍靴の音は、皇軍日本の輝かしい前進であった。

 南山の麓が黄鶴洞、李泰院の高地、なまこ山、幾千とも知らぬまんじゅう墓地のある無名祠の高地、その南がバラバラ松の高地、西氷庫から漢江川を渡って汝矣島の砂原へと、南北四キロ東西八キロにも及ぶ大練兵場であった。

 重い背嚢を負って二キロもある汝矣島の砂原を走る時は足が抜けるようであった。

軍律は落伍許さず汝矣島の
熱砂を兵らひたに走れる

なまこ山、無名祠の高地、バラバラ松の高地

 幾百の兵隊が雨の日も風の日も、突撃の喊声をあげて赤土の山を馳け上がる、「今のは不成功」と叱られて又麓に下り眼をつりあげ、血の出る程の断末魔の声をあげて馳せ上る、「よし成功」とお告げがあってほっとする。

突撃の声ふりしぼり馳せのぼる
兵倒れたり  酷暑の丘に

 私も一星半をこの練兵場で練えに練えられた。そして色々なことを体験した。

 苦しい思いを慰めてくれるものは小さな野生のカーネイシヨンと白い野菊であった。ある時は苦痛の絶頂に、ある時は限りない悲哀に涙をこぼした。

 かくて胸深く彫まれたことは「祖国日本を愛する兵の涙ぐましい努力と、自己を愛しむ悲しい笑い」であった。

永登浦

今日は仲秋の日で農家は休みと見えて、子供達は黄、赤、緑の晴着を着て庭でギコトンをして遊んでいる。

ま黄なる鮮服姿や鞦韆に
裾なひかせし鯵少女を思う

鞦韆
ブランコ

 若者は縁側にうららかな秋の陽をうけて、笛を楽しんでいる。今年は豊作と見えて、田んぼには黄金の波がただよっている。

韓国の民謡聞けぱ若人の
トラジ唄いし面影うかぶ

漢江河原

漢江河原

 広い汝矣島の砂原に続いて大漢江が悠々と流れている。川向うが桃山、それから南大門から上った長城が畝うねと北に走っている。 

                          

 今日は午後から夜にかけて前晴哨の訓練である。「敵は天安、鳥致院に宿営している、その斥候がこちらの状況を探りに、あちこちに出没している」。

 茜に染った夕日は西に落ちて物静かな夜の帳がおろされた。

陣営の夕暮楽し飯合の
蓋ふきあげて重湯こぼるる

 夕食の飯合炊さん、副食は魚の罐詰で参った。

 ヨボ(朝鮮)の部落のすぐ上を天安に通ずる道路が通っており、私はその鞍部の歩唱であった。

秋深き夜半の歩哨に吾が立てば 砧(きぬた)の音のことことと遠し  仲秋の明月はもう高く昇って、どこからともなく笛の音が聞こえ、アリランを唄う声がもの悲しく聞えてくる。

アリラン アリラン アラリリヨウ
アリラン コウゲル ノモカンダ
ナルル ポリゴ カシヌニンム
シムニド  モツカソ パーピヨナンダ

妾をすててアリランとうげを越えて行く人は 一里もゆかずに足が痛む。

模疑夜間演習

模擬夜間演習

 昭和六年満州事変が勃発して皇軍は満州に征戦を進めている、本年二月には上海事変が起り爆弾三勇士を生んだ。

 国民の軍事意識を高揚すると共に、近代戦の様相を認識させる為め、竜山師団練兵場で模疑夜間演習が行われた。

 私はこの演習に統監部通信兵として参加したので、全般の状況がわかって面白かった。

 敵はなまこ山に頑強な陣地を構築しており、友軍は練兵場を隔てて西部無線電台の森中に攻撃準備を整え日没を待っている。

 月のない真闇の夜だった。友軍は日没とともに練兵場に出て展開した。練兵場の半まで進出した時説明用の照明弾が打ち.上げられた。敵陣の様子、接敵する部隊の配置等が、昼をあざむく照明弾下に手にとる様にわかった。

 西側並びに南北両高地には近代戦を見んものと、遠く水原、仁川あたりからも来て数万の群衆が鈴なりになって、固唾を呑んで説明を聞いている。

 照明弾は消えて又闇の夜にもどった。時折銃声が聞える、友軍の斥候を敵の歩哨が射ったのであろう。

 部隊は葡匐前進して、三ケ班の鉄条網破壊班が出された。敵は照明弾をあげて鉄条綱破壊班を射撃する、友軍の機関銃、擲弾筒が敵の機関銃を制圧する。友軍の支援下に突撃路は開かれた。

 照明弾は消えた、ひとしきり友軍砲兵の支援射撃があって、敵陣の潰乱に乗じて友軍が突入して白兵戦を演じた。

 男たちには夏の夜の涼みを兼ねて流飲の下りる見ものであったが、婦人の中には異国の土地に野末の露と消えてゆく兵隊さんが可愛そうだと泣くものもあった。

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