朝鮮軍人隊 (昭和六年六月十日)
ふる里遠く北鮮に
海を渡りて国防の
第一線と勇みたつ
私は昭和五年徴集兵で、当時中学校を卒業した者は、 一年志願と言って除隊時には少尉になれる制度があった。但しそれには幾らか金のかかることであった。
今まで両親に散々世話になり、この上尚経済的な負担をかけるに忍びず、又日本は不景気のどん底で、あわてて軍隊を出る理由もなかったので、私は一般兵として入隊した。
昭和六年六月、兄が広島まで送ってくれ、それからは一人で集結地下関に往き輸送船に乗せられた。
兵われの征く船おくると市民らが
花火あげくれし馬関の港
空の青海の青さに包まれて
行けば果てなく潮路さやけし
六月九日朝、目前に釜山の港が見える、からりと晴、抜けるように澄み切った青空、初めて踏む大陸の地、風物、人家皆珍らしく、よいところに来たなあと、喜しかった。
元もと外地に出たくて朝鮮部隊を志望したので淋しいなどという気は微塵もなかった。
明けて六月十日竜山歩兵第七十九聯隊第七中隊に入隊した。竜山駅頭には沢山な居留民が小旗もって出迎てくれた。